2013年3月4日の日記

二度の脱落を経て12頃起きる。
「外出しよう」と前日作ったミネストローネとご飯を食べながら思いついて、ちょっと考えてから準備を始めた。数日前からそろそろ外に出ないといけないなと思って、買う予定の本を何冊かリストアップしてあった。俺はこうやって動機づけをして、ようやく外に出ることができる。
何時間かしてからシャワーを浴びて駅に向かった。この日は珍しく時間に余裕があって、焦りから駅まで走る必要もなく、幸先がよかった。普段は焦ってどうしても途中から走りだしてしまう。

読みたかったのはそれ町の最新刊とニッケルオデオン緑の二冊で、両方ともアニメイトにあるだろうと思っていたけれどそれが甘かった。それ町は数日前に発売されたばかりだから在庫も潤沢で、新刊コーナーに大量に陳列されていてすぐに見つかったのに引き換え、後者は赴いた先々で売り切れだった。前作の赤がそれほど売れている印象もなかったから驚いた。しょうがないからネットで買おうと思って帰宅してから普段利用しているサイトをいくつか覗いてみたら、軒並み在庫切れでまた驚く。それにしたって一冊もないなんてのは初めてだった(普段は書籍をネットで買うというのもある)。四件も回って結局買えなかったのでえらく疲弊した。

駅前の蕎麦屋に入って、かき揚げそばを食べた。本屋を回っている内にすっかり夕飯時になっていた。日もとっぷり暮れてすっかり夜になっていた。美味しかった。暖かい食事が食べられて嬉しい。

かき揚げそばを食べ終えて少し寛いでから店を出てすぐ近くのファミリーマートに向かう。アマゾンに注文していた荷物を受け取る。こんなキャンペーンをやっていたのでコンビニ受け取りにした。街に出る動機付けにもなる。ちょうどBLUE NOTEの70年代のタイトルが廉価盤でリリースされたタイミングだったので、その中にあったMarlena ShawのWho is This Bitch, Anyway?を買った。Bobbi HumphreyやDonald Byrdの作品もラインナップされてる(ここらへんは輸入盤のほうがまだまだ安いけど)ので、クロスオーバー期のサウンドやレアグルーヴなどに興味がある人はどうぞ。

 

懸賞で思いついたことを書く。


懸賞なんてどうせ当たらない。それに大概は(何か集めて送るのでもない場合は特に)応募した瞬間が期待値のピークで、あとは時たま思い出すくらいだ。ふとした拍子に思い出して少し気持ちがそわそわする。でもそういうなんてことない感情が一日を形作っていく。その不安定な喜びを取っ掛かりにして気持ちを曲げてやるんだ。そうやって気が晴れることもあるだろう。それからの毎日に無根拠な希望を持ち歩くようなものだ。根拠のない希望が一番大事だ。ハリボテの希望こそ毎日に似つかわしいんだ。意味のあることは大概疲れてしまうから。

でもそれを言ったら日記を書くのだって結構疲れるんだ。俺が日記を書くのは浪費される毎日を少しでも飾り立ててやりたいからで、それは生活を意味付けしてやることにほかならない。じゃあ今の俺は疲れたいってことなんだろうか。気持ちのいい汗をかきたい。それはきっと歓喜の涙にだって似ている。

効率だけを見るなら本だってネットで買えばいい。食事も外食でなく自分で作ることだってできる(もちろん食材の買い出しは別だ)。
それをせずに運賃なんていう目に見える余計な出費をしてまで外で買おうとするのは一人で鬱々とすることに飽きたからだ。気晴らしだ。一人で家に閉じ困って流れのない場所に身を置きっぱなしじゃイライラしてしょうがないんだ。俺がひたすらイライラしてうまくいかないことを恨んでいたときにみんなはこういうことを考えていたんだろうか?ようやくなにかが掴めそうな気がしている。掴んだその手を離すな。やっぱり人に会いたい。書き散らかせ、言葉に血を吸わせるように。


帰ってミネストローネの残りとご飯を食べる。
明日は野菜炒めを作ろうと思った。

地に足の着いた言葉で喋りたい。自分がどこにいるのかハッキリさせなきゃいけない。

 

「社会から見れば窓際の人 でも何時に生まれても俺は俺だと

 

 
EVISBEATS【MV】ゆれる feat. 田我流

2013年2月4日の日記

地平線まで見通せるくらいだだっ広くて何もないところをワゴンバスで走っていた。今でも人間が獣と命のやり取りをしてそうな僻地で、ワゴンバスが走るのに合わせて砂埃が巻き上がっていた。ワゴンバスの運転席から後ろに、まるで円卓を囲むみたいにして人が乗っていた。俺もそこにいた。ワゴンバスの中心に置かれた木箱(たしか木箱だったはずだ)が開かれるとそこにいた全員が歓声をあげた。喜びに打ち震えているみたいだった。俺の視線は歓喜する人々に向けられていたから、実際に木箱の中見を見たわけではないけれど、誰が教えてくれたわけでもないのにその木箱の中には人骨が入っていて、それが朝青龍の遺骨だとわかった。木箱の大きさはティッシュの箱を二箱並べたくらいでたいしたことなかった。
そのあと急に場面が変わって、小さな女の子が宮殿で演説を始めた。エリザベス女王の孫らしい。その口調がやたら舌足らずなのがおかしくて笑っていたら周囲の大勢――ほとんどがそのまま社交会に出られそうな身なりをしていた――に睨みつけられて怯んだ。それでバツの悪い気持ちで伏し目がちに演説を聴き続けていたらいつのまにか目が覚めて、夢が終わってた。朝の九時だった。

生姜焼きを作った。ご飯に乗せて丼みたいにして食べた。遅めの朝食だった。
昼を過ぎてから街に出た。
映画館で夜の時間のエヴァQのチケットを買ってから本屋に向かう。
店内をザッと見て回って最終的に漫画一冊と小説二冊を購入。
参考書をそろそろ買おうと思っていたのでDUO 3.0を買った。なにひとつ下調べせずに結局一番聞き馴染みがあるという理由だけで選んだ。
文理どちらで受験するかすら決めかねている。なので英語を買うしかなかった。
親としては早く進学してくれさえすればいいのだろうが、リビングの机に載った予備校のダイレクトメールを見る度に心がかき乱される。
親の職種に幻想を抱いてるだけなのかもしれない。手に職をつけるとか安定とか人を使うとか使われるとか考えるたびにわからなくなる。

映画の購入した回になるまで街をうろついていた。なんで毎度こんなに時間が余るのだろうと歩きながらぼんやり考えていた。無計画が街を闊歩する。

昼食になにか食べようと駅周辺の飲食店を何軒か回った。回った店がどこも休憩中だった。
お昼の書き入れ時をすぎると個人経営の店は休憩に入ることもあるのだということに初めて気が回った。

人が働いて回しているのだから当たり前なんだけど、最近までこういうことを意識することがほとんどなかった。誰かに同じ事を言われればそれはそうだと頷きながら訳知り顔で聞きながら相槌を打っただろう。だけどそこに人がいることや客と同じように昼食を摂るのだと本当には理解できてなかった。自分が思っている以上に自分は鈍感だったのだ。ごはんを食べると身体が暖かくなるとか寒いと指がうまく動かせなくなるとかそういうことだ。自分の身体がどういう風に動いているかだってまともに意識していなかった。自分にすら気を配れなかったのだ。

いつ休憩が終わるかわからなかったので今日は松屋で済ませた。チェーン店は躊躇なく味の素を大量に使用していそうなイメージがあって、味の素でお腹を壊す体質なのでそこまで乗り気でもなかった。ポン酢牛めしを食べた。四条貴音さんならなんと面妖なとかいいそうな味だった(そこそこ美味しかった)。いつぞやに食べたなか卯のうどんに比べたらなんでもなかった。舌から感じるサイケデリック・ミュージックだった。
       
時間になったので劇場に足を向ける。二回目のエヴァQ。
以下雑感。

巨神兵
二回目で本筋が予め頭に入っていたので細部に注目していて見ていたら、セットのテレビに絶対に外に出ないでくださいとテロップが出ているのが読み取れて、震災当時のことを思い出した。背筋が冷たくなった。
あとエンドロールにグッスマの社名があるのを見つけて、思わずすわねんどろいど巨神兵発売かとあらぬことが脳裏をよぎる。

エヴァQ。
マリが素敵だった。放映前日にテレビ放映されたパートということで印象深い宇宙空間での初号機回収シーンではあるけど、なにを置いてもまずはマリだ。マリが一人で気持ちよく歌い上げてるのがまるで作品のオープニングを飾っているようで勝手に気分が高揚して涙ぐんでしまう程だった。もうこれだけで「元はとれた」と思ったくらいだ。

以降のシーンは(巨神兵もそうだけど)二度目の視聴ということもあって、ストーリーより細部の方に焦点を合わせて見ていたんだけど、カヲルがシンジに世界を見せるシーンからのアイキャッチの流れは相変わらずよかった。You Can (Not) Redo。「償えない罪はないよ」のあたりはいいこと言うなーって思いながら見てた。
ラストの三人が連れ立って赤い砂漠を歩くシーンは、やり直すことのポジティブさというか、このシーンだけでも新劇場版としてエヴァをやり直す意味があったと断言できるくらい素晴らしいと思った。
アスカから無理やり外に引っ張りだされたシンジの元からS-DATがこぼれ落ちるシーンなんて分かりやすすぎるすぎるほど分かりやすいし、あの三人が歩き出すところにカヲルのセリフが重なって思わず目頭が熱くなる。きっと何度でも見返す。

22時過ぎに帰宅する。CDが届いてた。
Lyman Woodardのライブ盤を聞いたあと風呂に入って、それからベッドに入ってすぐ寝た。


THE LYMAN WOODARD ORGANIZATION / ON YOUR MIND

2013年2月3日の日記

目が覚めて時計を見たら二時頃だった。一時間近く布団でもたついてようやく起きた。
冷凍庫にあったスペアリブと秋刀魚の蒲焼、それと白米を解凍して食べた。
食べ終わるくらいからお腹が痛み出して参った。最近はなにを食べても腹を下している気がする。

朝食を食べ終わってからエヴァ破を見た。
Qを見た後だと意外としっくりくる。
ただ、後半の赤錆めいた色調のシークエンスだけは受け付けなかった。
序にも同じようなシーンがあってそこだけあまり好きじゃない。謎い。

何とはなしに郵便受けを覗いたら見慣れないものがはいっていた。
水道局からのもので、積雪でメーターの検針ができなかったというペラ紙だった。珍しさから熟読してしまった。

午後になってアマゾンからの荷物が届いた。
ディスククリーナーが届いたおかげでMac miniが元通りディスクを読めるようになり、まずスワンソングをインストールして(Wineで動かしてる)、それから佐藤博のベスト盤をインポートして延々聴き続けて、そのうち眠くなって来たので6時過ぎには寝た。


佐藤博 - カリンバ・ナイト

2013年1月21日の日記


前日の夕方6時前に意識が途切れて夜10時頃に目が覚めて、そのまま寝ずに朝を迎えた。
窓の外には昨日の朝と同じ濃い紫とオレンジのグラデーションが空を覆い尽くす光景があった。朝の兆しがビルに反射して街には人を急き立てるような刺々しい眩さが溢れていった。

 

忘れないように書き留めているのに文字に起こそうとすると当時の気持ちと今の気持ちのズレが文面ににじみ出てくる。
たのしくないときにたのしかったことは書けないのかもしれない。うれしくないときにうれしかったことは書けないのかもしれない。

昨日の朝と同じところで朝食を済ませて、10時前に宿泊していたホテルをチェックアウト。
電車を何本か乗り継いでスカイツリーの最寄り駅まで向かう。

人が大勢いた。おかげで随分と長い時間並ぶことになった。体感で一時間近く並んでいたような気がして携帯を確認したら実際には30分程度だった。箒で掃いて捨ててやりたいくらいの人数だった。エレベーターにギチギチに詰め込まれてよくわからない解説を聞かされて金を払ってなにが楽しいんだって気分だった。うんざりしてた。
降りるときにもエレベーターの前に行儀よく並んで、急かすような気持ちでエレベーターが自分を元の地平に引き戻してくれるのを待ちかねていた。自分の目の前に並んでいる女性がスカイツリーなう。と、たぶんツイッターに投稿しているのが目に入って少しげんなりした。あとから文面そのままでツイッターを検索したらやっぱり同じ文をツイートしてるアカウントがたくさんあって、おれにはなにをそんなに見てほしいのかよくわからなくて、また自分が阻害されてるような気持ちになってしまう。

そこからまた別の駅に電車で向かう。昼食のちゃんぽんはとても美味しかった。野菜が盛りだくさんで腹がすっかり膨れた。また東京に行ったときに寄る機会があればそのときにはもう一度食べたい。

それから駅の本屋に立ち寄って帰りの新幹線の時刻まで時間をつぶす。漫画を三冊買った。

帰りの車内では綾辻行人十角館の殺人を読んでいた。

夕食は山形に着いてから回転寿司で済ませた。そのあとスーパーで食料品を買った。

日が変わる数時間前に帰宅。風呂に入ったあと今日中に読み終わろうと読書を再開しているうちに瞼が重くなってきたので栞を挟んでそのまま寝た。

2013年1月20日の日記


朝五時頃に目が覚めた。ちょうど日が昇る頃で、窓外の街並みがオレンジ一色に染まって、ビルも日光を照り返してキラキラしているのが目に眩しかった。
昨夜はベッドに寝転がって遅くまでアニメを見ていた。お陰で日中眠気をこらえるのがつらかった。

ホテルと同じビルにテナントとして入っている店で朝食を済ませる。いわゆる旅館なんかで出される白米に味噌汁と焼き魚、それに沢庵と生卵が付いたような食事だった。一般的に朝食として想像されるポピュラーな組み合わせで、逆に新鮮味があった。美味しかった。

結婚式場に向かう。
会場がいわゆる一流ホテルで、あとで聞いたところによると先日某大物芸能人もここで式を上げたらしい。これまで自分に縁のなかった場所に急に放り込まれて物珍しさからやたらキョロキョロしていたような気がする。エントランスに立ったときはなんとも感じなかったのに、中に入ってすぐ天井の高さに息を呑む。天地の狭間に押しつぶされそうな息苦しさすらあった。豪華絢爛というのはこういうのを言うのだ。 
通路を歩いていると噺家の集まりと思しきプレートが掲げられている部屋もあって、普段ならまず関わることのない世界の一端に触れていることが妙におかしくてたまらなく、すると不思議と笑いがこみ上げてきてこらえるのに苦労した。

親戚相手に挨拶してまわるのも御免だった。かといってすることもなかったから親族控え室ではずっと手持ち無沙汰に椅子に掛けていた。
親戚の子供が走り回っていた。それを眺めている内にたしか二三年位くらい前、上の子ががほとんど赤ん坊みたいだったころに抱っこしたことを思い出した。もちろん彼女らはそんなこと覚えていないだろう(そもそも下の子は生まれてすらいない)。親戚連中の集まりなんかでよく自分が物心付く前のことを引き合いに出されて会話が進んでいくことにこそばゆさを覚えていたのを思い出す。人を戸惑わせるその無邪気さが気持ち悪かったのか?自分の人間性が置き去りにされて、大人の一人相撲に付き合わされているようで苛立っていたのか?それとも自分一人だけがそれを知らないのに、その中心にはたしかに自分がいたらしい周囲との記憶の齟齬から来る不気味さに耐えられなかったのか?自分だけおもちゃを与えられなかったような居心地の悪さの中でそんなことを思い出した。

花嫁が父親と寄り添ってチャペル中央に足を運ぶのを拍手で迎えながら入場のBGMを奏でているオルガン奏者がその進行をチラチラと確認しているのが横目に見えて、もちろん花嫁側とも事前の調整があるんだろうけど、裏方の努力というか苦労みたいなものが一瞬垣間見えて感慨深かった。

その後の写真撮影でこういう親族勢揃い、つまり必ずしも黙ってじっとしていてくれるわけでない子供をあやす用意というのはタイムテーブル通りに進行する上で非常に重要なのかもなと思った。

長くなってきたからメインの披露宴の流れは省略。
自分の至らなさみたいなのを思い知るやりとりもあったけれど概ね酒飲んで飯喰ってで気分がよかった。幸せそうな人たちを肴に孤独と馴れ合って飲むお酒も悪いものじゃなかった。末永くお幸せに。

昼過ぎにはお開き。
有隣堂でブックカバーを調達する予定だったのが前日あまり寝ていなかったからホテルに着くなり眠ってしまってそれは叶わなかった。
トールサイズの入る安価なブックカバーがほしい。
Feel Like Making Love - Bob James

2013年1月19日の日記

いつから起きていたのかさっぱり覚えていない。結局寝なかったということだけ覚えている。読書メーターを参照するに夜中はネルリの2巻を再読していたらしい。

 

前日の夜から蛇口を捻ってもお湯が出なくなって困った。数日前にも同じ状態になり、その時は室内でパネルをごちゃごちゃいじっているうちにお湯が出るようになっていたので、おそらく本体の故障ではなく配管が凍結していたらしい。今回も似たようなものだと思ってパネルを適当にがちゃがちゃするも一向にお湯が流れてくる気配がなかったので、風呂を諦めて無為なるインターネットに浴することにした。いつまでたっても進歩がない。おれはこの電子のガンジスに死体のように漂うのみだよ。

 

午後にはお湯が出るようになっていたのでパパっとお湯を張り浴槽に飛び込んだ。

夕方には東京行きの新幹線に乗る手はずになっていたから、大急ぎで支度をする。連泊の予定だったけれど中見はほとんど衣類くらいでたいしたものじゃなかった。そのくせかさばるから不思議に思う。

 

そして一睡もせずに駅に向かった。

駅に着いてすぐホームに向かい、黙って車両が来るのを待っていた。

 

十分ほど経って新幹線がホームに滑りこんできて、それはおれの視界を完全に塞いだ。ふんぞり返るでもなくただ黙ってその威容を誇っていた。その場にかつていたどの車両よりも巨大に見えた。こんなものは人間にそぐわないと思った。いや、人間だけがここにふさわしくないのだと思い直した。

この鉄の機体を切り抜いて開けられた窓も、乗り込む乗客も、運転士も、車掌も売り子もみんな余計な付属物でしかなかった。この無垢で秩序だった構造体にヒトという不純物が入り込む余地を与えてはならないと思った。

窓もドアもガラスもなにもかも塞いですべての隙間を埋めきってしまえばいい。この直線的なフォルムのもとに、人間のねじ曲げることのなかった崇高さを直截に叫び、その威容のためだけに駆動されねばならない。

 

おれはいったいなんでこんななんでもない光景にやられているのか。そう思いながら結局車両とホームの隙間を乗り越えた。

 

夕食は車両の中で済ませた。牛肉が白米の上に敷き詰められたもの(牛丼)をメインにとりあわせのつけものが入っていたと思う。冷えている割りには美味しいと感じた記憶が残っている。このあたりで眠気がピークに達したこともまた記憶している。睡眠が不足しているときの、あの体の重心が定まらないような感覚と闘いながら東京までの数時間を車内で過ごした。

 

新幹線の乗り入れた駅から何度か乗り換え、ようやくホテルにたどり着いたときにはもう随分遅い時間だった。

シャワーを浴びて着替え、軽く寛いでから近くのコンビニで夜食を調達した。

体は眠りたがっていたけれど、眠ってしまったら翌朝起きられないと思ったので、ケータイでツイッターをしたり、見るともなくぼんやりテレビを眺めたりしていた。東京では日の変わらないうちから深夜アニメを放送しているのだと知った。まさか東京には年金暮らしのやたら早く寝るアニメファンしかいないのか。戸惑った。ところで今日(1/30)、昼ごろアンパンマンを見てみなみけっぽいなと思った。

 

それからアニメを何本か続けて見て、気づいたら二三時間眠っていた。


EVENING SHADOWS 佐藤博