2013年1月19日の日記
いつから起きていたのかさっぱり覚えていない。結局寝なかったということだけ覚えている。読書メーターを参照するに夜中はネルリの2巻を再読していたらしい。
前日の夜から蛇口を捻ってもお湯が出なくなって困った。数日前にも同じ状態になり、その時は室内でパネルをごちゃごちゃいじっているうちにお湯が出るようになっていたので、おそらく本体の故障ではなく配管が凍結していたらしい。今回も似たようなものだと思ってパネルを適当にがちゃがちゃするも一向にお湯が流れてくる気配がなかったので、風呂を諦めて無為なるインターネットに浴することにした。いつまでたっても進歩がない。おれはこの電子のガンジスに死体のように漂うのみだよ。
午後にはお湯が出るようになっていたのでパパっとお湯を張り浴槽に飛び込んだ。
夕方には東京行きの新幹線に乗る手はずになっていたから、大急ぎで支度をする。連泊の予定だったけれど中見はほとんど衣類くらいでたいしたものじゃなかった。そのくせかさばるから不思議に思う。
そして一睡もせずに駅に向かった。
駅に着いてすぐホームに向かい、黙って車両が来るのを待っていた。
十分ほど経って新幹線がホームに滑りこんできて、それはおれの視界を完全に塞いだ。ふんぞり返るでもなくただ黙ってその威容を誇っていた。その場にかつていたどの車両よりも巨大に見えた。こんなものは人間にそぐわないと思った。いや、人間だけがここにふさわしくないのだと思い直した。
この鉄の機体を切り抜いて開けられた窓も、乗り込む乗客も、運転士も、車掌も売り子もみんな余計な付属物でしかなかった。この無垢で秩序だった構造体にヒトという不純物が入り込む余地を与えてはならないと思った。
窓もドアもガラスもなにもかも塞いですべての隙間を埋めきってしまえばいい。この直線的なフォルムのもとに、人間のねじ曲げることのなかった崇高さを直截に叫び、その威容のためだけに駆動されねばならない。
おれはいったいなんでこんななんでもない光景にやられているのか。そう思いながら結局車両とホームの隙間を乗り越えた。
夕食は車両の中で済ませた。牛肉が白米の上に敷き詰められたもの(牛丼)をメインにとりあわせのつけものが入っていたと思う。冷えている割りには美味しいと感じた記憶が残っている。このあたりで眠気がピークに達したこともまた記憶している。睡眠が不足しているときの、あの体の重心が定まらないような感覚と闘いながら東京までの数時間を車内で過ごした。
新幹線の乗り入れた駅から何度か乗り換え、ようやくホテルにたどり着いたときにはもう随分遅い時間だった。
シャワーを浴びて着替え、軽く寛いでから近くのコンビニで夜食を調達した。
体は眠りたがっていたけれど、眠ってしまったら翌朝起きられないと思ったので、ケータイでツイッターをしたり、見るともなくぼんやりテレビを眺めたりしていた。東京では日の変わらないうちから深夜アニメを放送しているのだと知った。まさか東京には年金暮らしのやたら早く寝るアニメファンしかいないのか。戸惑った。ところで今日(1/30)、昼ごろアンパンマンを見てみなみけっぽいなと思った。
それからアニメを何本か続けて見て、気づいたら二三時間眠っていた。