2012年12月2日の日記

なんでもいいからとりあえず書かなきゃ始まらないよなと強迫観念じみた思いにかられながらエディタを開いて目線を上に向けたら窓の外が明るくなっていることに気づいた現在の時刻は朝の7時にはいって30分が過ぎたところらしい。おかしい。世界の関節がどうたらこうたら。


三時頃に起きて、相変わらずやることもないので適当にインターネット。
合間に読みかけだった奥泉光シューマンの指を100ページほど読み進める。本筋と無関係というわけではないものの、興味の持てないクラシックに関する蘊蓄が頻繁に挟み込まれるものだから、辟易して読み進めるのが億劫になり、最初の100ページほど読んでからは別の本を読み進めて何日か放置していたのだけど、ちょうどそのあたりで伝記じみた解説は鳴りを潜めて、記述が物語に注力され始めていたので、最初の100ページ以降は完全に文体に集中して読み進められそう。自分が奥泉光を読むのはこれが二冊目で、変わらず文体の凄まじさに唸らされる。

それからUN-GOの因果論のコミックスも読んだ。これ単独でも楽しめないこともないと思うけど、別天王会事件の解決に乗り出す時点ですでに風守が新十郎のもとに加わっていたり、新十郎、由子、世良田の三人が幼馴染でK国で出会う以前から関係があったり、TVシリーズの前日譚だった劇場版と時間軸が前後している箇所や設定の変更されているところなどがあるので、ファンの人がおさらいも兼ねて、劇場版と比較しつつ読むのが一番いいんじゃないかと思います。自分としては、なしえちゃんの内面が描写されていたり、虎山検事が頬を染めていたりするのがポイント高かったです。はやみんは相変わらずだったよ。


昨日の続き。
「見づらいからやめよう」と書いたけれど一体誰に対する遠慮なのか。ここは俺の日記で執筆者は俺しかおらず、何を遠慮しているのか。早い話が体裁を整えたチラシがたまたまネット上で見られるだけで、自分が読んでわかればいいレベルに達しさえしていればなんでもいいのだと思えてきた。こういう無意味な思い込みで自分を雁字搦めにするのはよくない。


ちなみにこれ書いてる最中はCarl Craig聞いてた。おしまい。